ビアパレット

ブルックリン・ブルワリー共同創業者 スティーブ・ヒンディ氏トークショー

2018年6月2日(土)から6月17日(日)まで開催された「東京ビアウィーク2018」。東京のビールを盛り上げるべく今年は約261店舗が参加しました。プレミアムイベントとしてブルックリン・ブルワリーの共同創業者であるスティーブ・ヒンディ氏のプレミアムトークショーが開催されました。トークショーは第一部、第二部に分けての2部構成。スプリングバレーブルワリー東京の2階の会場は熱気にあふれて満席。本編では、第一部の模様をお伝えいたします。

公開日:2018年6月29日
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スティーブ・ヒンディ氏と藤原ヒロユキ氏との対談

日本ビアジャーナリスト協会代表の藤原ヒロユキ氏が進行役となり第一部がスタート。
まずは、世界のクラフトビール業界を牽引するブルックリン・ブルワリーの共同創業者のスティーブ・ヒンディ氏の経歴の紹介から。

スティーブ・ヒンディ氏は、AP通信で1978年に中東特派員して勤務。イスラム圏のためビールが飲めなかったため、ホームブルーイング(自家醸造)を始めた。その後、1984年にニューヨークに戻り執筆活動を続ける傍らホームブリューも続け、会社を退社後にブルックリン・ブルワリーを創業。
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創業当時のブルックリン・ブルワリー

(藤原氏)
今年は創業30周年とのこと。おめでとうございます。ブルックリン・ブルワリーは、創業当時はコントラクトブルワリー(契約醸造)で自身で醸造設備を持たずに契約したブルワリーでビールを製造していた。その理由と当時の苦労話があればお聞かせ願いたい。

(スティーブ・ヒンディ氏)
もともとのプランは小さな醸造所を建設して生ビールを近隣の地域に販売しようと考えていた。知人に、大変だが成果を得るには自分で売るしかないと言われ、契約醸造でスタートすることにした。1888年に創業したビール醸造会社に頼んで、当時まだ犯罪がはびこっているような危険なブルックリンに倉庫を借りた。そこにビールを置きそこから配達をした。ニューヨークで15年間このような状態で営業していた。

6年後に醸造所を建設するところまでこぎつけた。われわれが創業した後の15年間で30社くらいがビール会社を興したが、多くのビール会社は流通の問題でつぶれてしまった。そういった意味では、知人にもらったアドバイスは本当に嬉しいものだった。

その当時、違法駐車でたくさん切符を切られた。販売会社は大手の流通に2003年に売却したが、その最後の年にトラック8台で6万ドルくらいの駐車違反の罰金を支払った。ガソリン代より駐車違反の罰金のお金の方が高かったのではないかと思う。

ブルックリン・ブルワリーのロゴデザインが出来上がるまで

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(藤原氏)
ブルックリン・ブルワリーのロゴはとてもカッコいい。これは世界的に有名な「Ⅰ♥N.Y」のロゴを作ったグラフィックデザイナーのミルトン・グレイザーのデザインだが、初めからロゴデザインの重要性を考えていたのか。

(S.ヒンディ氏)
わたしは最初、ブルックリン・イーグルビールと言いたかった。(1841年に創刊したブルックリン・イーグルという新聞社があった。)当初、小さいデザイン会社に話しにいったらロゴを作るのに4万ドルくらいかかると言われ、とても払えないので30社くらい訪問して商談した。

家内から「あなたはジャーナリストなのだから、誰に電話するのも怖くないでしょ。だったら、もっと大きなデザイン会社に電話したら」と言われ有名なデザイン会社にアタックした。当時、われわれは資金もなかったが、当時有名であったミルトン・グレイザーに依頼しようと連絡を取ったが会ってくれない。会ってくれないということに対してジャーナリストの血が騒ぎ絶対に会ってみせる、と思い、毎朝、新聞社から電話をかけた。いつも取り次いでくれていた女性が根負けしてやっとミルトンに取り次いでくれた。ミルトンが電話に出てきてくれブルックリン・イーグルビールの話しをしたら面白そうだから会いに来なさい、となりミルトンと取引をした。デザイナーになってくれることになったが彼のギャラは払えない。彼はわが社の株券2万ドル分を獲った。一時間単位のお金も払ったが、4万ドルよりは安い。

ミルトンと初めて会った時にはブルックリン・イーグルビールについて熱く語った。様々な思いや企画を熱く語りすぎミルトンから「わたしの仕事がなくなる」と言われるくらいであった。
1週間後くらいにラベルデザインを見せてくれた。最初の感想は「それしかないの?」ミルトンは、「何も言うな。黙って家に持ってかえってキッチンテーブルの上に置いていろいろな人に見せて、とにかく眺めてくれ」と。
そうすると日に日になじんでくる。そのシンプルの良さが出てくる。そのロゴは昔のブルックリンだけではない、もっと新しい新鮮な要素も入っている。そして長く愛用されてきた親しみやすさもある。一言でいうと彼は天才。彼はいま80歳代だが毎日出勤してくれて素晴らしい仕事をしてくれている。

言い忘れたが、最初にミルトンに会った時に、ブルックリン・イーグルでなく、ブルックリンで良いじゃないかと言われた。30年前はまだブルックリンというと犯罪も多いし治安も良くないから本当にブルックリンの名前を付けるの?とも言われた。でもわれわれは、ブルックリンに賭けた。そのことが名前が繁栄する結果にもなったかな、と思っている。この名前のおかげで今、皆さんの前に立って話しができ日本でも販売できるようになったのではないかと思う。
シェラネバダもサミュエルアダムスもビールを輸出しているが、ブルックリン・ブルワリーが輸出では1番成果を上げている。

ブルーマスターのギャレット・オリバーとの出会い

(藤原氏)
アメリカでもホームブリュワーは違法の時期もあったが、ホームブリュワーが認められた経緯と、ブルックリン・ブルワリーのブルーマスターのギャレット・オリバーとの出会いなどについてお聞かせ願いたい。

(S.ヒンディ氏)
1978年に自家醸造が認められた。ギャレットとはビールの販売を始める2年前の1986年に出会った。彼は、ニューヨークシティ・ホーム・ブルワーズ・ギルドという組合の創設者。そこのホームブルワーのクラブで話しをすることができた。わたしが醸造所を建てるということが新聞に掲載されそれで興味を持ってくれていた。最初、他のメンバーたちがギャレットに会ったことはあるかと聞いてきて、「会ったことがない」と答えると会わなくてはだめだ、とのこと。

少し、遅れて参加したギャレットはマントを着て膝上まであるブーツを履いていた。「すごいやつが来た。これがギャレット・オリバーなんだ」と思った。その後、たのしく朝4時頃まで話し込んだ。テーブルを叩いて大騒ぎをしていろいろと議論して、初対面の時から大好きになった。
後日、ギャレットは「わたしはマントは着ていない」と。「でもマントだっただろう」というと「もしかしたら18世紀のフランスの軍服のコートを肩にかけていたよ」と。
わたしは、ビール会社を興してからミルトン・グレイザーとギャレット・オリバーという天才二人に会うことができた。ミルトンとギャレットは中からビジョンが湧いてくる。外からの影響にあまりぶれない。
二人ともそういった意味では共通項があると思っている。

ワールドビアカップでの金賞受賞について

(藤原氏)
ブルックリン・ブルワリーは1996年にワールドビアカップで初めて金賞を受賞し、今年もアメリカンスタイル アンバーラガー部門でブルックリンラガーが金賞を受賞した。初めて金賞を受賞した時の影響は?

(S.ヒンディ氏)
ワールドビアカップで金賞を受賞して感動した。これで一気に行くのかなと。これがわれわれの到達点であると思ったがそうではなかった。醸造家は、美味しいビールをつくることがまずはじまりだと思う。ここから成果があがっていく。まず素晴らしいビールがあることが一歩。そのあといろいろなステップを踏んで行かないとビールビジネスは上手くまわらないかと思う。金賞を受賞したが、そのことをもっと宣伝してわれわれのビールにとってそれが意味あることだと説明して伝えることが必要だった。今年も、ワールドビアカップで金賞を受賞してブーストにはなっているが以前に比べて名前が知られている段階にある。こういう段階で金賞を獲る場合は、相当われわれにとってはPR価値が高い。

ブルックリン・ブルワリーが成長し続ける理由

(藤原氏)
今回、ワールドビアカップでフラッグシップのブルックリンラガーが金賞を受賞したことは非常に素晴らしいことだと思う。本日の配布資料にあるが、1999年頃から2008年頃までアメリカのブリュワリーの数が横ばいで伸び悩んだ時期があるが何か原因があったのか。ブルックリン・ブルワリーは平均18%で伸びている。この時期に成長し続けた理由は。

(S.ヒンディ氏)
1990年の終わりから1996年にクラフトビールの成長が鈍化した。この時期は混乱を極めていた時期。今思うと自然なビジネスサイクルだと思う。また大手のビール会社がクラフトビールに参入してきた。その時彼らにはクラフトというサブカテゴリーに対して信念がなかった。
その間消費者は、どのブランドがクラフトビールなのかわからなくなって混乱し、大企業が持っているブランドは何なのかわからない状態になった。大手は自分たちで本格的にクラフトビールをやる気がなかった。なぜなら、ビールの複数のメガブランドはその当時売上を落としていて、自分たちがクラフトビールを本気で販売したら、メガブランドが更に衰退するのではないかと危惧していた。
そうしたら10年後にクラフトビールが一気に右肩上がりに。大手はクラフトブルワリーを買収して自分たちの仲間にしようとしている。買収されたところに負けないように頑張っている。

クラフトビールの定義とは?

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この記事のライター

ペールエール伊東

JAZZ・フュージョン、クラシック&ヘビーメタルとアロマHOPを こよなく愛す、ソムリエ・日本酒と焼酎の利酒師。 日本の全クラフトビールを飲覇しようと日夜、ビアパブ、ビアフェスに 出没中。今年も日本ビール検定1級受験します!

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