2022-12-01

「アサヒスーパードライ」発売開始から30周年記念! Vol.2 ~有識者が語る発売当時~ – ビアパレット

スーパードライが発売されたのは、1987年(昭和62年)。発売以前を知っている社員は、現在アサヒビールに何名在籍しているのか、今回お話しを伺った塩澤常務が人事担当者に聞いてくださいました。アサヒビールには現在4,000名ほどの社員が在籍していますが、昭和61年以前を知っている社員は138名。

その138名の中のおひとりとして、30年前の当時は営業を担当されていた常務取締役 兼 常務執行役員 営業本部長 塩澤 賢一様にお話しを伺いました。

スーパードライ誕生時の状況

スーパードライ発売より1年前の1986年(昭和61年)にアサヒビール社はCI(Corporate Identity)を導入。その一環でビールの“味”も変えました。その当時のビールの全国シェアは10%を切っていたので、ある意味「最後の勝負に出る」感覚でした。スーパードライの誕生より1年前、1986年1月に「アサヒ生ビール」が発売。

社内では隠語で通称マルエフと呼ばれていました。その翌年にスーパードライが発売されます。スーパードライは、FX(次期戦闘機)と呼ばれていました。

via アサヒビール

昭和61年は前年比112%と好調の中、現場ではなぜ新しい商品を出すの?と思っていました。一点突破していくしかないのに、なぜ力を分散することをするのか不思議でした。

当時生ビールが出た際は、瓶のラベルに透かしで「日の出」マークを出していましたが、スーパードライからは日の出マークは一切なくなり、新しいアサヒビールが本格的に始まる!という思いを当時は持っていました。

via アサヒビール

しかし、売ってみたら変わったビールでした。そもそも「辛口のビール」っていったいどんなビールなの?という疑問を持たれました。当時は辛口といえば日本酒のイメージです。辛口というと、「甘くない」という捉え方ではなく、唐辛子の辛さをイメージする人も多くいました。衝撃的なのは「デザイン」。銀色のラベルに黒の文字でビールらしくない文字です。

とにかく何を伝えたかったかというと、辛口の概念がなかった当時は、今までのビールとは“違う”ことを強調したかったのかなと思います。

via アサヒビール

当時スーパードライは若い人に評判でした。これから飲んでいく若い人の心を掴むことは大切ですが、当時もその意識が強かったのではないでしょうか。

スーパードライ発売当時の担当地域

スーパードライ発売時は、営業として栃木県南部を担当し、町の酒屋さんを回って営業をしていました。当時はお酒を売る場所として酒屋さんが主力だったことは、スーパードライにとってラッキーだったと思います。酒屋の店主さんが「こういうビール出たよ」といって、お客さんに勧めてくれるからです。当時は店主さんによってA党(アサヒ派)、K党(キリンビール派)など店主さんの意思がありましたが、A党(アサヒ派)はほとんどいませんでした。それでも新商品としてスーパードライを紹介はしてくれました。酒屋さんでは店主さんの意見が中心となるので、このままでは売れません。

店頭に並び、他社ビールと同じスタートラインに立ったことが追い風となったのです。

「ドライ戦争」の勃発

翌年の1988年(昭和63年)にドライ戦争が起きました。他のビールメーカー3社がスーパードライの類似商品を発売したことを「知的所有権の侵害」とアサヒビール社が主張したのです。この主張が話題となり、大きな広告となりました。 スーパードライに限らず、アサヒビールは「いつもいいことアサヒから」のキャッチコピーとともに、新しいことに取り組む気持ちが強いことが特徴です。缶入りビール(1958年)・日本ビールギフト券(1969年)・アルミ缶入りビール(1971年)はすべてアサヒビールが日本で初めて発売しました。

スーパードライは、このような事柄がいくつか重なり、波に乗ったのです。